【私の趣味のストーリー裏話 15話】親方の背中と、米の研ぎ方

私の趣味のストーリー 裏話

親方の背中と、涙の米研ぎ|見るだけの修行で得たもの

寿司職人の世界には、「教えるな、見て盗め」という文化が残っている。
それを初めて実感したのが、寿司店での修行初日だった。

目次

はじまりは、米研ぎから

朝一番に店へ入り、最初に向き合うのは米。

水温に指を浸し、少しずつ研いでいく。ほんの少しでも雑に扱えば、すぐに怒鳴られる。

「米粒に命を吹き込むんだ。雑な研ぎ方じゃ、米が泣くぞ!」

最初は意味がわからなかった。

けれど数日後には、その言葉が胸にじわりと沁みてくる。

研ぎ方ひとつで、米の肌ざわりも光り方も変わる。

透明感を増していく白米を見ていると、自分の手のひらの熱が伝わっているのが分かるようになった。

そう感じた瞬間、「ああ、こういうことなのかもしれない」と、初めて親方の言葉が腑に落ちた。

「見て盗め」に、どう向き合うか

職人の世界では、口で教えてもらえることはほとんどない。

親方は無口で、常に背中で語る人だった。

それでも、私は目の前のすべてを観察した。

包丁の握り方。

魚をまな板に置く角度。

刺身を切り出す一瞬のスピード。

ネタをシャリにのせるときの手の柔らかさ。

一つ一つが、本やYouTubeでは学べない“本物”だった。

閉店後、親方の動きを思い出しながら、切れ端の魚でこっそり練習。

でも、全然うまくいかない。

自分がやると、包丁はたちまち止まり、身はボロボロになる。

あの動きは、何を意識しているんだろう。

どこに力を入れて、どこを抜いてる?

手元のどの位置で、身を滑らせてる?

考えながら何度も繰り返す。

目は開いていても、実際は親方の背中を追いかけていた。

涙の米研ぎ、感情が宿る瞬間

とにかく、うまくいかない。

米を研いでも、泡立ちすぎて弾かれる。

掃除をしても、見えない汚れを指摘される。

怒られて、ミスして、反省して、また怒られて。

ある夜、厨房でひとり米を研ぎながら、気づいたら涙が出ていた。

「こんなにやってるのに、なんでダメなんだろう」

その悔しさが、止まらなかった。

でも、ふと思い出した。

初めて魚を捌いた日も、ぐちゃぐちゃだった。

皿を自作しようとろくろを回した日も、泥まみれだった。

あの頃も、今も、自分の中で燃えているのは「上手くなりたい」という気持ちだった。

技術はすぐに手に入らない。

でも、そのぶん心が深まる。

技術よりも、魂を学ぶ日々

寿司職人の技は、まさに身体の記憶。

でもその奥には、食材への敬意や、空間への気配り、

何よりも「お客さんの表情にすべてが報われる」という強い信念がある。

それを、親方は一言も説明しない。

でも、背中を見れば、わかってしまう。

「修行って、技術を学ぶだけじゃない。

心を、磨く時間なんだ。」

あの頃に流した涙。

あの夜の米研ぎ。

あの親方の背中。

すべてが、今の自分を形づくっている。

そしてたぶん、この先もずっと、心の奥で炊き立ての米みたいに熱く残り続ける。

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