【私の趣味のストーリー 17話】 寿司は「ネタ」より「米」だった。親方に教わったシャリの哲学

私の趣味のストーリー 裏話

目次

寿司職人の勘違いから始まった修行

寿司職人としての修行を始めたばかりの頃、私はずっと「魚さえ良ければ、うまい寿司になる」と思っていた。
実際、包丁の握り方から捌きの技術までは自信がつき始めていたし、「ネタ勝負」だと信じて疑わなかった。

でも、ある日突然、親方はこう言った。
「明日から、お前に米を任せる」
ここから、私の寿司人生は一気に変わっていった。

「お前のシャリは、息してねえんだよ」

米を任された初日。自宅で何度も炊いた経験もあるし、シャリくらいできるだろうと軽く見ていた。
けれど、親方の指導はそんな甘いものじゃなかった。

  • 米の研ぎ方ひとつで味が変わる
  • 水の量、炊き上がりのタイミング
  • 羽釜で炊くときの火加減
  • 酢の温度と混ぜ方

すべてが、米の声を聞けと言われているようだった。

「お前のシャリはな、優しさが足りねえ。米が息してねえんだよ」

その言葉が、全てを変えた。

「寿司はネタ3割、シャリ7割」

それまでは魚の目利きと包丁技術だけが重要だと思っていた。
でも、親方はこう言った。

「寿司はな、米が七割、ネタが三割だ」

最高のネタがあっても、ベタついた酢飯じゃ台無し。
逆に、絶妙なシャリがあれば、多少ネタが地味でもうまい寿司になる。

私の酢飯は、酸味が立ちすぎていたり、べちゃっとしていたり…。
一方、親方の酢飯は口に入れた瞬間ふわっとほどけ、甘みと酸味が溶け合う。
もうこれは「感性」の領域だった。

それでも、諦めなかった

閉店後、残った米で何度もシャリを切り直す日々。
酢の温度を変え、混ぜ方を変え、手の角度まで神経を研ぎ澄ませる。

地道で孤独な作業だったけど、確かに少しずつ何かが変わっていった。

「……まあ、食えるようになったな」

数ヶ月後、私の作ったシャリで、親方が初めて一貫の寿司を握った。
そして、ひと口で食べたあと、小さく頷いた。

「……まあ、食えるようになったな」

その言葉が、どれほど嬉しかったか。
「食える」という一言が、合格点のように響いた。

まとめ:一粒の米にこだわるから、寿司は美しい

魚を捌けるようになった頃は、寿司職人になれた気でいた。
でも、本当に大切なのは「米」と向き合うことだった。

寿司はネタ3割、シャリ7割。
この言葉の意味を、私は一生忘れない。

💬 感想や「寿司のシャリで感動した体験」などあれば、ぜひコメントで教えてください!
次回は、親方との握りの修行のエピソードへと続きます🍣✨

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