一期一会の板前が教えてくれた、寿司の深淵と心構え
シャリの哲学から始まった修行は、市場での目利き、店での所作、そして「お客を喜ばせたい」という心意気へ。趣味を超えて誰かの人生を彩る一皿に近づくまでの記録。
📖 目次
- シャリの先に広がっていた景色
- 市場で聞いた、魚の声
- 最高のネタは、選んだ瞬間から劣化が始まる
- 包丁は技術、まな板は哲学
- 「一期一会の板前」という働き方
- 趣味が使命に変わる瞬間
- 今日から真似できる、板前の視点(ミニ実践)
- おわりに:扉の向こう側へ
シャリの先に広がっていた景色

前回、親方から叩き込まれたのは「シャリは米粒の集合ではなく、ひとつの生き物だ」という考え方だった。温度、酢の立ち方、水分、空気の含ませ方。どれか一つがズレるだけで、握った瞬間のほどけ方が変わる。私は米粒を数で捉えることをやめ、呼吸する存在として扱うようになった。
だが、「すし○○」での学びはそこで終わらない。親方は、掃除や仕込みが板についてきた頃、私を早朝の市場へ連れ出した。ここから、寿司の世界は一段と深くなる。
市場で聞いた、魚の声
競りの鐘、威勢の良い掛け声、氷のはぜる音。五感が目覚める市場で、親方は淡々と魚を見極めていく。選び方はシンプルだが厳密だった。

- 目:濁りがないか。生きていた時の緊張感が残っているか。
- 匂い:海を感じる清澄さがあるか。異臭や油っぽさはないか。
- 張り:指で軽く押した戻り、皮目の艶、身の密度。
- 血合い:色の鮮明さとにじみ。丁寧に扱われた個体は語る。
親方は言う。「魚はな、目ぇだけじゃねえ。匂い、触り心地、全体の張り。全部で語る」。かつて釣りと捌きに自信のあった私も、その確信の前ではひよっこだと痛感した。良い魚は情報ではなく情報量で分かる。触れた瞬間に、身体が理解してしまうのだ。
最高のネタは、選んだ瞬間から劣化が始まる
市場帰りのクルマで、親方はもう次の工程を組み立てている。どれを先に下ろし、どれを寝かせ、どれを昼の客に合わせるか。「最高の素材も、扱いが1ミリ狂うと価値が落ちる」。
氷水の温度、血抜きの角度、拭き取りの布の繊維の粗さ。仕込みは手順ではなく意思決定の連続だと知った。素材の時間軸を読み、最適点に客の口を合わせる
その設計こそ職人の仕事だ。
包丁は技術、まな板は哲学
店に戻ると、魚の種類ごとの微差を叩き込まれる。皮目を活かす角度、筋繊維を断つか沿うか、刃を離す速度。切り口の艶は「味」の前に「信頼」を作る。親方の言葉が刺さった。
「客はな、板前の技量だけじゃねえ。心意気を見てるんだ」
握りの前に、目線の配り方、会釈の深さ、間の取り方。こちらの静けさが、シャリに空気を入れるのだと気づく。焦りは米を固め、欲は指を重くする。包丁は技術、まな板は哲学。その両輪が回らなければ、寿司はただのご飯と魚に戻ってしまう。
「一期一会の板前」という働き方
市場での選択、店での仕込み、カウンターでの所作。その全ては、目の前のひと口のために収束する。だからこそ、同じネタでも毎回違う。その日、その人、そしてその一皿。この非再現性を抱きしめられるかどうかが、板前の矜持だ。
私は学んだ。完璧を目指すのではなく、最善を積み重ねる。魚の機嫌と人の機嫌、季節と天気、客の歩幅に合わせて握る。寿司とは、食材・技術・人間が一点で交わる瞬間芸なのだと。
趣味が使命に変わる瞬間

数年、親方の背中を見続けて分かった。厳しさの奥に愛情があり、合理の奥に祈りがある。私の「好き」は、誰かの人生を彩るための「使命」に姿を変え始めた。
「寿司とは何か」。その答えは、技術の極致ではなく、食材への感謝、人への敬意、そして一皿に込める心。それらが揃ったとき、寿司は単なる料理から体験へと昇華する。握りを許される日が近づくほど、心は静かに震えた。
今日から真似できる、板前の視点(ミニ実践)
- 魚屋で目と匂いを意識する:透明感のある目、海の香りがする個体を選ぶ。迷ったら小ぶりで締まったものを。
- 包丁は押さずに引く:潰さず、繊維を滑らせるイメージ。切り口の艶が味を変える。
- シャリは人肌:炊き上がりの湯気を吸わせすぎない。握る前に深呼吸を。
- 食卓で「間」を設計:一貫目は軽い白身、二貫目に香りの強いネタ。リズムで味は変わる。
- 「誰のために」を一言添える:家族や友人の顔を浮かべて握るだけで、手つきが変わる。
おわりに:扉の向こう側へ
市場での目利きも、店での所作も、カウンターでの対話も、すべては一皿のため。だから寿司は難しくて、だからこそ面白い。技術を磨くほど世界は静かになり、静けさの中で魚が語り、人が笑う。私の修行は、今も続いている。
次回は、いよいよ初めての「握り」へ。手のひらが何を語り、米と魚がどう答えたのか その瞬間を書き残したい。
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