「正しい方法」を探し続けた日々
noteを書き始めた当初、私はいつも「正解」を求めていた。
・バズっている投稿にはどんな共通点があるのか
・人気クリエイターの文体をどう真似すればいいか
・読まれるには役立つ情報じゃないといけないんじゃないか
そんなふうに、分析と模倣を繰り返す毎日だった。
でも、どれだけ頑張っても反応はイマイチ。
フォロワーは増えず、いいねもコメントもつかない。

夜中にスマホを置いて、ため息をついた。
「何をやっても、誰にも届かない…」
そんな気持ちが心の奥に沈んでいった。
深夜に書いた、ただのやらかし話
もうダメかもしれないと思ったある夜。
私は投げやりな気持ちで、とある出来事を綴った。
それは、会社で大きなミスをして、
上司に叱られて、落ち込んで…でもどこか笑えてしまった日のこと。
役に立つ情報なんて何もない。
見栄も張ってない。
ただの失敗談。
「こんなの誰も読まないよな…」
と思いながら、私は投稿ボタンを押した。
届いた意外な反応
翌朝、スマホの通知が鳴った。
開いてみると、そこにはこんなメッセージが──
・「めっちゃ分かります、私も同じでした」
・「こういう正直な話、大好きです」
・「読んでて安心しました」
思わず目を疑った。
有益な記事を書いたときには反応がなかったのに、
なんでこんな“ダメな話”に反響が…?

「正直な気持ち」が一番届く
私は気づいた。
・うまく書こうとしなくてもいい
・有益じゃなくてもいい
本音で綴った言葉は、それだけで誰かの心に届く。
うまくできなかった日、落ち込んだ日、
「こんな自分はダメだ」と思っていた部分こそが、
実は誰かを救うのかもしれない。
あえてかっこ悪い自分を書くという選択
あの日から私は、ちょっとだけ勇気を出してみた。
・やらかした話
・落ち込んだ話
・恥ずかしかった出来事
今までは隠していた「かっこ悪い自分」を、
文章にして届けることにした。
「誰かに笑われてもいい」
「でも、たった1人にでも響くなら」
私はもう一度、ノートを開いた。
終わりに
正しいやり方を追いかけていた私が見つけたのは、
「自分を偽らない」ことの大切さだった。
この記事が、もし誰かの心にふっと灯りをともすことができたなら、
私はそれだけで嬉しい。
今日もここまで読んでくれて、ありがとう。
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