陶芸って、思ってた以上に泥くさい。
でも、それがすごく面白かった——。

ろくろと格闘する日々が始まった
最初はただの泥の塊だった。
でもろくろを回し、土に触れ、指を使ってかたちを整えていくうちに、だんだん器っぽい何かが生まれてくる。
先生が「いいですね、形が見えてきましたよ」と言ってくれた時、私はもう夢中だった。
寿司皿にこだわる理由
なぜかというと、寿司を握るようになったからだ。
魚を捌き、寿司を握り、「食の美しさ」にどんどん引き込まれていった私は、次に「それを乗せる器」にまで関心が向いた。
アジの青、タイの白、マグロの赤……。
その色が一番映える「究極の皿」を作りたくなったのだ。
陶芸教室に通ってわかったこと
陶芸教室では、ベテランのおばあちゃんが湯呑みについて語り、若い男性がコーヒーカップへのこだわりを熱く語っていた。
みんな器フェチとも言えるような熱量で、
「ただの道具」ではなく「使う人の想い」を込めて作っていた。
それに影響された私は、
「美しい食卓は、器から始まる」
という意識を持つようになっていった。
土の声が聞こえた瞬間
ある日、ろくろを回しながら集中していたら、
土がまるで生きてるように感じた。
フッと力を抜いたように、私の指先にスッと馴染む。
その時、初めて思った。
「これだ…!」と。
まるで土が「こうしてほしい」と語りかけてきたみたいだった。

形を真似るのではなく、引き出す
この日を境に、私の器づくりは「型を真似る段階」から、「土の個性を引き出す段階」へと進んだ。
焼き上がった時の風合いや釉薬の色も想像しながら、一つずつ丁寧に作るようになった。
「食」を彩る、もうひとつの芸術
釣りをして
魚を捌いて
寿司を握って
そして今、土と向き合っている。
全部、ひとつの「食」に繋がってる。
私は、食を通じて人生を楽しむ方法を見つけた気がする。
おわりに
この「好き」はどこまで続くんだろう?
わからないけれど、ワクワクしている自分がいる。
今日もまた、私は土の声に耳を傾けながら、自分だけの美味しそうな器を追い求めているのだ。
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