コーヒーを飲みながら、私はずっとひとりで考えていた。
街を歩いて、店を見て、サービスを眺めて、「これ、面白いな」と思う。
そんな時間が増えて、投資の世界が少しずつ自分の中に根を張っていった。
それなのに、誰にも言えなかった。
株を買っていることも、企業を見ていることも、考えていることも。
別に隠す必要はないはずなのに、なぜか口に出せなかった。
投資の話は、どこか踏み込んではいけない場所のように感じていた。
詳しいと思われたら困る。失敗したら笑われそう。意識高いと思われたくない。
何より、「まだ語れるほどじゃない」という自分自身へのブレーキがあった。
だから私は、コーヒーだけを相手に、心の中で話していた。
「語らない自由」に守られていた頃
今振り返ると、あの誰にも言えなかった時間は、実はとても自由だった。
正解を求められない。説明しなくていい。反論もされない。
街で気になる会社を見つけて、
「これ、伸びそうだな」と思って、
家で少し調べて、また次の日に街を見る。
誰にも評価されないけれど、誰にも否定もされない。
その静かな時間は、まるで自分だけの秘密基地だった。
名乗れなかったけれど、確実に視点は育っていた。
語らなかったからこそ、よく見るようになった。
話さなかったからこそ、考える時間が増えた。
投資家になる前に、
私はすでに世界の見方を変え始めていたのだと思う。
ほんの一言が、境界線を越えた
ある日、職場の何気ない雑談の中で、誰かが言った。
「最近、株ってどうなんだろうね」
その瞬間、胸の奥で何かがカチッと鳴った。
いつもなら聞こえなかったふりをしていたはずなのに、
その日は、気づいたら口が動いていた。
「……僕、少しだけ投資してますよ」
声は小さかった。
でも、自分の中では、はっきりとした一歩だった。
言ってしまった。
ついに、言ってしまった。
世界は、驚くほど何も変わらなかった
相手の反応は、拍子抜けするほど普通だった。
「へぇ、そうなんだ」
それだけ。
否定もされない。特別扱いもされない。
私が勝手に怖がっていた空気は、そこにはなかった。

そこから、ほんの少しだけ話をした。
街を見て企業を考えること。チャートよりサービスを眺めるのが好きなこと。
専門用語も、銘柄名も出さなかった。
ただ、「投資って、意外と面白いんですよ」とだけ伝えた。
話し終えたあと、胸の奥が少し軽くなっているのに気づいた。
あれほど怖かったのに。
あれほど、名乗ることをためらっていたのに。
「名乗れなくても、踏み出せた」という事実
私はまだ、胸を張って「投資家です」と言えるほどではない。
プロでもない。成功者でもない。失敗もたくさんしている。
それでも、あの日の一言は、確かに私を前に進めた。
誰にも言えなかった世界を、ほんの少しだけ外に出した。
それだけのことなのに、
なぜか「始まった」という感覚があった。
投資家になった瞬間、なんて大げさな線引きはできない。
でも、「私はこの世界を生きている」と、
はじめて自分に許可を出せた日だった。
コーヒーの味は同じでも、景色は変わっていた
その日も、私はコメダでコーヒーを飲んだ。
味はいつもと同じ。席も、カップも、変わらない。
でも、心の中だけが少し違っていた。
「これは、私の世界なんだ」
そう、静かに思えた。
誰かに認められたわけでもない。
結果が出たわけでもない。
それでも、自分の中の境界線は、確かにひとつ越えていた。
小さな一歩が、人生を立体的にした
人生を変えるのは、派手な成功だけじゃない。
誰にも気づかれない、小さな一歩が、
自分の世界を立体的にしていくことがある。
はじめて投資の話を口にした日。
それは、私にとって投資の話以上の意味を持っていた。

自分の見ている景色を、
はじめて誰かに差し出した日。
名乗れなくてもいい。
自信がなくてもいい。
それでも、一歩外に出た自分は、もう以前の私ではなかった。
コーヒーを飲みながら、誰にも言えない話を抱えていたあの頃。
そして、ほんの一言を口にした、あの日。
たぶん、私はそのとき、
投資家になる前に、ひとりの人間として、少しだけ強くなったのだと思う。
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