それでも、扉を開ける朝が来る
開店当日の朝、私は目覚ましより先に目が覚めていた。
まだ外は薄暗く、カーテン越しの空は色を決めきれずにいる。
「今日、扉を開けるんだ」
その事実が、胸の奥に重く沈んでいた。
嬉しさよりも、期待よりも、まず先にあったのは怖さだった。
失敗するかもしれない。
誰も来ないかもしれない。
「やっぱり無理だったね」と、心のどこかで囁く自分がいる。
それでも、私は布団を出た。
怖さが消えたからではない。
怖さを抱えたままでも、立ち上がると決めたからだ。
怖さの正体は「選ばれないかもしれない」という不安だった
この数ヶ月、私は何度も自分に問い続けてきた。
「もし、誰にも必要とされなかったらどうしよう」
お金の不安でも、忙しさでもない。
いちばん怖かったのは、自分という存在ごと、選ばれなかったらどうしようという気持ちだった。
店を持つということは、
料理やサービスだけでなく、
空間も、時間も、そして自分自身を差し出すことでもある。
「これが、私です」と、看板に名前を掲げるようなものだ。
だからこそ、
誰も来なかったら、
それはただの失敗ではなく、
自分そのものを否定されたように感じてしまう気がしていた。
この怖さだけは、誰にも言えなかった。
言葉にしてしまったら、現実になってしまう気がして。
それでも「やる」と決めたのは、ここまでの時間を否定したくなかったから
店に向かう道は、驚くほどいつも通りだった。
通勤する人、散歩中の犬、コンビニの前の自転車。
世界は、私の覚悟なんて知らないまま、淡々と動いている。
それが、少しだけ救いだった。
店の前に立つ。

シャッターはまだ閉まっていて、ガラス越しの空間には何もない。
昨日まで何度も見てきた景色なのに、この朝だけは違って見えた。
「もし、誰も来なかったら」
また、その言葉が浮かぶ。
でも、同時に、もう一つの思いが重なってきた。
……それでも、ここまで来た。
迷って、悩んで、立ち止まって。
夜の店で一人、カウンターに手を置いた日もあった。
怖さから目を逸らし続けた時間もあった。
それでも、ここまで歩いてきた。
もし誰にも選ばれなくても、
この時間までが「なかったこと」になるわけじゃない。
この選択も、この覚悟も、
私の人生だった。
扉を開けた瞬間、世界は変わらなかった
鍵を差し込み、回す。
金属の音が、やけに大きく響いた。
シャッターを上げると、朝の光が静かに店の中に流れ込んでくる。
まだ、椅子に人の温度も、会話の残り香もない。
ただ、光だけが、床を照らしていた。
私は扉の前に立った。
外と中の境目。
昨日までの自分と、今日からの自分のあいだ。
深く息を吸う。
怖さは、消えていない。
でも、その怖さを理由に、立ち止まることはもうしなかった。
……扉を、開ける。
劇的な音楽も、拍手もなかった。
世界が変わった感じもしなかった。
ただ、ひとつだけ、はっきりしていたことがある。
「私は、ここに立っている」

それだけだった。
怖さを抱えたまま進むことは、弱さじゃなかった
誰が来るかは分からない。
誰も来ないかもしれない。
それでも、私は思った。
怖さを抱えたままでも、人は前に進める。
いや、むしろ――
怖さがあるからこそ、その一歩には意味が宿る。
完璧な自信なんて、最後までなかった。
「絶対うまくいく」という確信もなかった。
それでも扉を開けたのは、
成功したいからというより、
「自分の人生の前に、立ちたい」と思ったからだった。
誰かに評価されなくても、
選ばれなくても、
ここまで来た自分は、消えない。
それだけは、確かだった。
それでも、私は今日、前に進んだ
あの日、私がしたことは、たった一つだ。
怖さを抱えたまま、扉を開けた。
ただ、それだけ。
でも、それは、
私の人生にとって、確かな一歩だった。
成功するかどうかは、まだ分からない。
この場所が、どんな未来につながるのかも分からない。
それでも。
私は今日、
自分の人生の前に、はじめて、扉を開けた。
そしてきっと、
この一歩こそが、
「自分を信じる」ということの、最初の形だったのだと思う。
💡 他の「趣味シリーズ」も読む




コメント