気づけば、我が家の冷蔵庫には常にアジかイワシが入っていた。
なぜなら私は――寿司修行中だったから。
スーパーの特売で魚を見つけては、迷わずカゴにIN。
家に帰ると、せっせと捌いては「シャリよ、整え!」と気合で握る。
家族はもうすっかり慣れたもので、
「また寿司?」
と呆れ顔をしながらも、ちゃんと味見してくれるのが唯一の救いだった。
握りは「リズム」と「呼吸」
何百本と見続けた寿司動画。
プロの手元ばかりを食い入るように見つめていると、ある違和感に気づいた。
ただ形を真似してるだけじゃ、うまくいかない。
職人の指先には、見えないリズムと呼吸のようなテンポがあった。
握る力、指の角度、ネタの包み方…
すべてが呼吸するように自然で、優しい。
まるで「寿司と対話してる」みたいだった。

「力」で握るんじゃない。「心地よさ」を握るんだ。
ある夜、動画を見ていた私の指がピクリと反応した。
今まで握るたびにベチャベチャになっていたご飯が、スルッと離れた。
力加減が分かった気がした。
シャリに圧じゃなく、余白を与える。
粒を潰すんじゃなく、粒と粒を寄り添わせる。
…そうか。
これが寿司の呼吸なのかもしれない。
形も少しずつ楕円に近づいていった。
まだまだ完璧じゃないけど、明らかに「何か」が変わり始めていた。

ケンタの一言が、光になった
ある日、弟ケンタに自信作を振る舞ってみた。
見た目はまだ「寿司っぽい何か」だけど、心を込めて差し出す。
ケンタは一口食べて、目を見開いた。
「お、おいしい!マジで上手くなったな!」
…その一言で、全部報われた気がした。
何度も失敗して、笑われて、でも続けてきた。
それが、ちゃんと誰かの舌に届いた瞬間だった。
寿司沼は、まだまだ深い
そこから私は、さらなる深みへ。
酢飯の温度、ネタの厚み、ワサビの塗り方。
今では魚屋の店員さんに、
「このネタ、握りに向いてますか?」
と聞いてしまう始末(笑)
でも、それでいいと思う。
好きなことって、気づけばどんどん深みにハマっていくものだから。
結びにかえて
私の指先は、もうただの指じゃない。
試行錯誤を重ね、失敗を繰り返して生まれた「光の指先」だ。✨
寿司の道は、まだまだ続く。
今日も私は、スーパーでアジを手に取りながらこう思う。
「ふふ、今日はいい握りができそうだな」
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