【ストレスで潰されかけた私 海外編 第4話 深掘り】

ストレスで潰されそうになったシリーズ 海外編

第4話:誰も急がない街で、焦る自分に気づく

街の中心部を歩いていても、誰も走っていなかった。

赤信号になっても、車が来なければ、みんな普通に渡っていく。日本なら「え、渡るの?」って空気になるのに、こっちではそれが当たり前の顔で進んでいく。

昼下がりのカフェでは、店員もお客も、会話の途中で何度も笑う。笑いが落ち着くと、また静かになって、まるで時間が止まったみたいにゆっくり流れていく。

ここでは、誰も「早く」なんて言わない。

Take your time.

好きなだけ時間を使っていいよ、って意味。

最初の頃は、それが心地よかった。肩の力が抜けて、やっと息ができる感じがした。「急がなくていい場所があるんだ」って、少し救われた。

走ってない街、止まってるみたいな時間

でも、一週間も経たないうちに、私はそのゆっくりに落ち着けなくなっていた。

理由は単純で、目の前の景色がゆっくりなのに、自分の中だけがずっと早回しだったから。

仕事を探しても返事が遅い。連絡が来ない。来たと思ったら「来週ね」みたいな返しが普通に来る。

バスもいつ来るかわからない。時刻表はあるけど、あってないようなもの。待っても待っても来ない日もあって、「え、今日ないの?」が起きる。

時計を見ても、時間が進んでいる気がしない。進んでるはずなのに、進んでないみたいな日が続く。

周りの人は平気な顔で、のんびり座って、のんびり話して、のんびり笑っている。

なのに私は、ひとりだけ落ち着かなくて、ずっと心が小さくバタバタしていた。

落ち着くはずが、落ち着けない

日本では、常に次を考えていた。

次の予定。次の仕事。次の不安。

立ち止まると置いていかれるような感覚が、身体に染みついていた。誰に言われたわけでもないのに、「もっと早く」「もっとちゃんと」「もっと前へ」って、自分で自分を追い立てていた。

焦りって、いつの間にか習慣になる。

静かな時間が怖い。余白があると、逆に不安になる。何かしていないと、置いていかれる気がする。

こっちの街は、立ち止まっても、誰も追い越していかない。

むしろ、立ち止まることを楽しんでいるように見えた。

それが優しいはずなのに、私はその優しさの中で、なぜか焦ってしまった。

「私は何を急いでるんだろう」

そう思った瞬間、ちょっと恥ずかしくなった。急いだところで、何かがすぐに変わるわけでもないのに。

「焦り」は外じゃなく、内側にいた

ある日、バス停で隣に座ったおばあさんが、ふと笑いながら言った。

No bus today, maybe tomorrow.

「今日はバス来ないね。たぶん明日かな」

それを聞いた瞬間、なぜだか笑ってしまった。

笑っていいの?ってくらい、雑で、ゆるくて、でもその言い方があまりにも自然で。怒りも焦りもなくて、「まあそういう日もあるよね」って顔だった。

私はそれまで、バスが来ないことを事件みたいに感じてた。

予定が崩れる。時間が無駄になる。遅れる。損する。

でも、おばあさんの中では、バスが来ない日はただの「来ない日」だった。

焦っていたのは、私だけだった。

誰も今すぐを求めていない国で、私はひとり、何かに急かされていた。

もしかしたら焦りは、外から来るものじゃなくて、自分の中で作り出していたのかもしれない。

誰かが「早くして」って言ったわけじゃない。

早くしなきゃって、私が勝手に思ってただけ。

夕方の空に、やっと言えたこと

夕方の空に沈む太陽を見ながら、私は小さく息を吐いた。

今日も何かが予定通りじゃなかった。今日も思い通りに進まなかった。

でも、その空はやけに綺麗で、街は相変わらずゆっくりで、人は相変わらず笑っていた。

その景色の中で、ようやく思えた。

「焦らなくていい」

それは、誰かにもらった言葉じゃない。自分で自分に言えた言葉だった。

焦りって、消そうとすると余計に強くなる。無理に落ち着こうとすると、逆に落ち着けなくなる。

だから私は、焦ってる自分を否定するんじゃなくて、ただ気づいてあげることにした。

「今、焦ってるんだね」って。

それだけで、心の中のスピードが少し落ちる気がした。

次回予告

✈️ 次回:英語が通じなくても、伝わるものがあった

言葉よりも先に、心が動いた。

💡 他の「ストレスシリーズ海外編」も読む

➡️ ストレスシリーズ海外編の記事一覧はこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました