「大丈夫?」が国を越えた日

海外に来てから、いちばん驚いたことは何ですか?と聞かれたら、僕はたぶん「優しさの形が違うこと」と答える。
いや、正確に言うなら、優しさそのものは同じなんだと思う。人はどこでも誰かを気にかけるし、守りたいし、傷つけたくない。ただ、その表し方が、国によって、文化によって、驚くほど違う。
優しさの前提が違う
日本にいた頃の僕は、優しさを「空気で読むもの」だと思っていた。言葉にしなくても察する。迷惑をかけない。波風を立てない。相手の領域に踏み込みすぎない。そういう距離感を保つことが、大人の優しさだと信じていた。
でも、海外に出ると、その前提が少しずつ崩れていく。
理由のない重さを抱えた朝
ある朝、僕は小さなカフェにいた。海辺のベンチで沈黙に救われた日(海外編6話)のあとも、僕の中にはまだ、うまく説明できない重さが残っていた。体調が悪いわけじゃない。嫌な出来事があったわけでもない。ただ、胸の奥が鈍く、重たい。そういう日がある。
日本では、そういう日は「なかったこと」にするのが上手くなる。仕事に穴をあけない。家庭を回す。笑って受け流す。大丈夫そうな顔を作る。僕もずっと、そうしてきた。
「Are you okay?」の一言
その日も、コーヒーを飲み、窓の外を眺め、頭の中のざわざわが消えるのを待っていた。すると、店員の女性が、僕の前に来て静かに聞いた。
「Are you okay?」
たった一言。どこにでもある言葉。――そう思って流すこともできた。でも、その一言は、不思議と僕の奥の奥を掴んだ。
「……I’m not sure.」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。大丈夫かどうか、分からない。元気かどうか、分からない。理由は言えない。でも、しんどい。その曖昧なままの本音が、そのまま出てしまった。
答えを求めない優しさ
彼女は、少しだけ目を丸くして、それからゆっくりうなずいた。
「That’s okay. Take your time.」

大丈夫じゃなくてもいい。急がなくていい。説明しなくていい。ちゃんとしていなくていい。
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かがほどけた。
日本にいた頃、僕は「大丈夫?」と聞かれると反射で「大丈夫です」と答えてきた。大丈夫じゃないと言うのは、迷惑をかけること。弱さを見せること。場の空気を壊すこと。そう思い込んでいた。
察すると言うの違い
海外での「Are you okay?」は、答え合わせの質問じゃない。正しい返事を求める言葉でもない。むしろ、もっと静かな合図に近い。
「あなたの状態に気づいているよ」「ここにいるよ」
それだけを、言葉で手渡してくる。
日本の優しさが察するだとしたら、海外の優しさは言う。ただし、押しつけない。踏み込みすぎない。ただ、そこにいる。
「大丈夫じゃなくてもいい」という許可
この違いは、言葉の強さじゃなく、許可の出し方の違いだと思った。日本では「大丈夫じゃなくてもいい」を、あまり言わない。言わないからこそ、みんな頑張れる側面もある。でも、頑張り続けた人ほど、「大丈夫じゃない」を言う場所がなくなる。
そのカフェには、その場所が自然に用意されていた。理由を求めない。根掘り葉掘り聞かない。解決しようとしない。ただ、存在を肯定する言葉を置いていく。
たった一言が支えるもの
僕はその日、救われた。何かが解決したわけじゃない。人生が劇的に変わったわけでもない。でも、「大丈夫じゃない自分でも、この場にいていい」と思えた。たった一言が、心の底で踏ん張っていた足を、少しだけ休ませてくれた。
カフェを出るとき、僕は小さく会釈をした。彼女はにこっと笑って手を振った。胸の奥に、静かな温度が残った。
ここから先も、同じ場所を書いていく
海外に来て分かったのは、言葉が通じるかどうかじゃない。心が通じるかどうかでもない。「大丈夫じゃなくてもいい」その許可を、自分に出せるかどうか。たぶん、そこがいちばん大きい。
そして僕は、少しずつ、その許可を出せる人になっていきたい。自分に対しても、誰かに対しても。
派手な成功じゃなくて、静かな日常の中で。たった一言で、人は支えられることがある。僕は、そのことを、国を越えて知った。
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