「寿司のための器」が欲しくなった理由
魚を捌くようになってから、
「この寿司を、もっとおいしく見せたい」って思うようになった。
味だけじゃなく、見た目の完成度にもこだわりたくなったのだ。
でも、家にある普通のお皿に乗せてみても、どこかしっくりこない。
「もっと寿司が映える器って、ないのかな?」
そんな気持ちから、私は陶芸教室の門を叩いた。
想像してた陶芸と全然ちがった
陶芸って、もっと静かで優雅な趣味だと思ってた。
でも現実は、土と格闘する日々!笑
中心がズレると土が暴れ出して、
ろくろの上で土がビヨン!と飛んでいく。
顔に泥がつくたびに「私、何してるんだろ…😂」って笑えてくる。
でも不思議と、「もうやめたい」とは思わなかった。
むしろ、次はもう少し上手くいく気がして、また通いたくなった。
土が生きてるように感じた日

先生が言った「土と対話する」という言葉。
最初はよく分からなかったけど、何度も触れているうちに
ああ、これはただの素材じゃないって思うようになった。
力を入れすぎれば反発してくるし、
優しく触れれば、少しずつ形になってくれる。
魚を扱うときと、なんだか似てるなって思った。
「完璧」より、「込めた想い」が大事だってこと

まだまだ上手に作れるわけじゃない。
形はちょっと歪だし、色ムラもある。
でも、手をかけて土と向き合ったからこそ、
その器には自分の時間が詰まってる気がする。
完璧じゃなくてもいい。
自分の手でつくったものに、寿司をのせてみたとき、
「これが、私の好きなんだ」と思えた。
「趣味」って、上手くなることじゃなくて
私はまだ、陶芸家でもなければ、寿司職人でもない。
ただ、好きに向き合ってるだけ。
趣味って、「上手くなること」じゃなくて、
「好きでいられること」なんだと思う。
上手くいかなくても、またやってみたいと思える。
その気持ちこそが、続ける理由なのかもしれない。
この記事はこんな人に届けたい
- 趣味が見つからない人
- 何かに挑戦したいけど、一歩踏み出せてない人
- 「上手くできない自分」を責めてしまう人
少しでも、土に向き合った私の体験が、
誰かの好きを見つけるヒントになりますように🍀
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