【ストレスで潰されかけた私 海外編第15話深掘り】

ストレスで潰されそうになったシリーズ 海外編

できないことが増えた場所で、私は少しずつ固くなっていた

海外に来てから、できないことが一気に増えた。

英語がうまく聞き取れない。言いたいことがすぐ出てこない。会話のタイミングがずれる。先生が何か説明していても、途中から分からなくなる。クラスメイトが笑っているのに、自分だけ少し遅れて意味が分かる。そんなことが何度もあった。

日本にいた頃は、ここまで「できない自分」を意識することはなかった気がする。もちろん、何でも完璧にできていたわけじゃない。でも少なくとも、言葉が通じる世界にいた。何を言いたいのか、どう説明したいのか、自分の中で整理して、そのまま口に出せばそれなりに伝わった。

でも海外では、それがうまくいかない。

伝えたいことがあるのに、言葉が追いつかない。聞きたいことがあるのに、どう聞けばいいのか分からない。分かったふりをしたまま、その場をやり過ごしてしまうこともあった。

最初の頃は、それがすごく悔しかった。

もっとできるはず。もっと話せるはず。もっとちゃんと理解できるはず。そんなふうに、自分に期待していたからだと思う。

日本では普通だったことが、ここでは普通じゃなかった

海外生活って、派手な出来事よりも、小さな「ズレ」の積み重ねなのかもしれない。

語学学校での会話。ホームステイ先でのやり取り。スーパーでの買い物。バスの乗り方。店員さんとのちょっとした会話。全部が、少しずつ難しい。

大きな壁というより、小さな段差がずっと続いている感じだった。

そしてその段差に、一日に何度もつまずく。

クラスメイトが楽しそうに話しているのに、自分だけ話に入れないことがある。先生が質問してきても、頭の中で文章を作っているうちにタイミングを逃してしまうことがある。ホームステイ先で何か聞かれて、正確には分かっていないのに、とりあえず「Yes」と言ってしまうこともある。

あとから「あ、違ったな」と気づいて、少し落ち込む。

そういうことが何度も続くと、自分の中に小さな疲れがたまっていく。

誰かに怒られたわけでもない。大きな失敗をしたわけでもない。でも、ちゃんとできない自分が、少しずつ心を固くしていく。

「できない自分」を隠そうとするほど、しんどくなる

振り返ると、私はずっと隠そうとしていたのかもしれない。

英語ができないこと。会話についていけないこと。分からないこと。自信がないこと。そういうものを見せたくなくて、なるべく普通に見えるようにしていた。

でも、それってすごく疲れる。

ちゃんとして見せようとするほど、余計にぎこちなくなる。分からないのに分かったふりをするから、あとでもっと分からなくなる。失敗したくないから黙る。黙るから余計に入っていけなくなる。

最初の頃の私は、そうやって自分で自分を苦しくしていた気がする。

「できないこと」そのものよりも、できない自分を見せたくない気持ちの方が、実はしんどかったのかもしれない。

クラスメイトのひと言が、心の力を少し抜いてくれた

ある日、語学学校の帰り道で、クラスメイトがぽつりと言った。

「今日は英語めちゃくちゃだった」

そして、そのまま自分で笑っていた。

その姿を見た時、私は少し驚いた。

できなかったことを、そんなふうに言えるんだ。しかも隠すでもなく、恥ずかしがるでもなく、当たり前みたいに。

その子にとって「できなかった」は、落ち込む理由じゃなくて、ただ今日そうだったという事実だったんだと思う。

その軽さが、私にはすごく新鮮だった。

私はずっと、「できない」を重く受け取りすぎていたのかもしれない。

できない=恥ずかしい。できない=情けない。できない=周りに置いていかれる。そんなふうに勝手に意味を増やしていた。

でも、そのクラスメイトの一言はもっとシンプルだった。

今日はうまくいかなかった。だから何。明日はまたやればいい。

そんな空気を、その人は自然に持っていた。

ここにいる人たちは、みんな何かができない

その時、ようやく少し見えた気がした。

この場所にいる人たちは、みんな何かができない。

英語が完璧じゃない人。文化が分からない人。道に迷う人。人前で話すのが苦手な人。聞き取るのは得意だけど話すのが苦手な人。逆に話すのはできるけど文法がめちゃくちゃな人。

みんな、何かしら不完全だ。

でも、不完全なまま生活している。

分からないと言っている。聞き返している。笑ってごまかして、また次に進んでいる。

その姿を見ていたら、少しだけ気持ちが変わった。

できないことがあるのは、自分だけじゃない。ここでは、それが当たり前なんだと分かったから。

できないことがあるままでも、ちゃんと前に進める。そこにいることをやめなくていい。会話に入れなくても、次の会話でまた挑戦すればいい。

そう思えた時、心の中の緊張が少しだけほどけた。

「今はまだ、できないだけ」と思えた時、世界が少し変わった

私の中で、一番大きかったのはここかもしれない。

できない自分を責めるのではなく、「今はまだ、できないだけ」と思えたこと。

この違いは大きい。

「できない自分はダメだ」と思っている時、人は萎縮する。次も失敗したくなくて黙る。ますます小さくなる。

でも「今はまだ、できないだけ」と思えると、不思議と次の一歩が出やすくなる。今日はうまく話せなかった。でも明日は一言増えるかもしれない。今日は聞き取れなかった。でも次は少し分かるかもしれない。

できないことを、終わりじゃなく途中として見られるようになる。

その感覚は、海外に来てから初めて知ったものだった。

日本にいた頃の私は、できないことを「足りないこと」として見ていた気がする。でも今は少し違う。できないことは、まだ知らないだけ。まだ慣れていないだけ。まだ通っていない道なだけ。

そう思えるようになったら、世界は少しだけ優しく見えた。

完璧じゃないからこそ、進める日もある

英語が完璧じゃなくてもいい。全部理解できなくてもいい。毎日成長してる実感がなくてもいい。

それでも、ここで生活している。学校に行っている。人と話している。失敗しながらでも、ちゃんと生きている。

たぶんそれだけで、十分すごいことなんだと思う。

海外に来たばかりの頃の私は、もっとちゃんとしなきゃと思っていた。頑張らなきゃと思っていた。できない自分は、どこか恥ずかしいものだと思っていた。

でも今は少し違う。

完璧じゃないまま進んでいい。分からないままでも、少しずつ分かればいい。できない自分を責めるより、できないままでも前に進んでいる自分を認めた方が、ずっと楽だ。

この感覚を知ってから、私は前より少しだけ呼吸がしやすくなった。

できない自分を認めた日は、弱くなった日じゃなかった

「できない自分でもいい」

その言葉を、やっと自分に向けて言えた日だった。

これは諦めじゃない。開き直りでもない。ただ、自分に対して少し優しくなれたということだと思う。

海外に来ると、どうしても「成長しなきゃ」と思う。せっかく来たんだから、何かを身につけなきゃ、変わらなきゃ、強くならなきゃと考える。

でも、本当に必要なのは、いきなり強くなることじゃなかったのかもしれない。

まずは、できない自分をちゃんと認めること。そこからじゃないと、本当の意味で前に進めないのかもしれない。

あの日、私はようやくその入口に立てた気がした。

次回予告:海外の人は、なんでそんなに笑うの?

日本にいた頃より、人と目が合う回数が増えた。

そして気づいたことがある。

海外の人は、よく笑う。

店員さんも、通りすがりの人も、学校の先生も。驚くくらい自然に笑う。

その笑顔に救われた日もあれば、最初はちょっと戸惑った日もあった。

次回は、そんな「笑顔の文化」に触れた時の話を書こうと思う。

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