言葉が通じない瞬間に、心が縮こむ

海外に来て、最初につまずいたのは英語そのものよりも、
「通じなかったときの空気」だった。
カフェでコーヒーを注文する。
それだけのことなのに、言葉が届かない。
店員の首が傾き、後ろに列ができる。
焦りが一気に胸まで上がってきて、
声が喉で詰まる。
この感覚は、どこか懐かしかった。
日本で、何度も味わってきた感覚だったから。
助けてもらった、たった一言
そんなとき、隣にいた女性が、
何のためらいもなく口を開いた。
Flat white. He means flat white.
それだけで、場の空気がほどけた。
店員が笑い、私のカップに注文が書かれる。
女性は振り返りもせず、
「Enjoy.」とだけ言って去っていった。
特別な言葉じゃない。
でも、その笑顔は、しばらく胸から消えなかった。
日本で身についた「黙る癖」
日本では、
言い間違えることが怖かった。
間違えたらどう思われるか。
笑われたらどうしようか。
だから私は、
分からないときほど黙ることを選んできた。
黙っていれば、傷つかない。
黙っていれば、迷惑をかけない。
そうやって身についた癖は、
海外に来ても、無意識に私を縛っていた。
笑われる怖さと、笑ってくれる優しさ
でも、ここでの笑いは違った。
失敗したときに向けられるのは、
冷たい視線じゃない。
No worries.
You’re doing great.
その言葉に、
責める気配はひとつもなかった。
「大丈夫だよ」
ただそれだけを伝えるための笑顔だった。
その瞬間、
長い間、肩に入っていた力が抜けた。
正しさより、伝えようとする気持ち
言葉は、完璧じゃなくていい。
文法が間違っていても、
発音が違っていても、
「伝えたい」という気持ちがあれば、
世界は思っていたより、ちゃんと応えてくれる。
そのことを、私はようやく体で理解した。
正しく話すことよりも、
黙らずに差し出すことの方が大切だった。
希望は、静かな光のように
コーヒーを受け取って、
カフェの窓から海を眺めた。

強く輝くわけじゃない。
でも、確かにそこにある光。
その光が、
これから先も進んでいけるかもしれないという
小さな希望の形に見えた。
言葉が通じなくても、
気持ちは通じる瞬間がある。
その事実が、
海外で生きていく私の背中を、
そっと押してくれた気がした。
次回、
沈黙の国境線。
言葉よりも深い場所で、人と分かち合う話へ続く。
💡 他の「ストレスシリーズ海外編」も読む



コメント