【ストレスで潰されかけた私 第9話深掘り】

ストレスで潰されそうになったシリーズ 海外編

「NOと言えない」は、性格じゃなくて癖だった

海外編9話の裏テーマは、はっきりしている。
それは「断る」という行為が、相手を拒絶することではなく、自分を守ることだと知る話。

日本にいた頃の私は、頼まれると断れなかった。
優しいから、気が利くから、そういう性格だから……と見せかけて、実際は違う。
断れないのは「性格」じゃなくて「癖」だった。

そしてこの癖は、たぶん自分の中で正しさとして育ってしまっていた。
迷惑をかけない。空気を壊さない。期待に応える。
そのどれもが一見まともで、ちゃんとしている。
だからこそ厄介だった。

気づかないうちに、私は「自分の都合」を削ることを、良いことだと思っていた。
その結果、いつも最後に残るのは、静かな疲れと、言葉にできない息苦しさだった。

海外で気づいた「頼む側の軽さ」と「断る側の罪悪感」

海外に来ると、人の距離感が違う。
お願いも雑談みたいに飛んでくるし、断りも同じ温度で返ってくる。

「手伝ってくれない?」
この一言が、こちらの心臓を掴んでくる。

頼む側は軽い。
でも断る側の私は、なぜか重い。

この重さの正体は「罪悪感」だ。
断ったら嫌われる。空気が悪くなる。迷惑な人だと思われる。
そういう未来を、勝手に想像して先回りしてしまう。

でも実際は、頼む側は「頼んでみただけ」なことが多い。
断られたら「じゃあ別の人に聞くか」で終わる。
それなのに、こちらだけが関係の終わりみたいな顔をしてしまう。

このギャップが、私の中にずっとあった。
そしてそれは、海外に来てやっと浮き彫りになった。

「NO」は拒絶じゃなくて、境界線を引く言葉だった

9話の核心はここ。
「NOと言う=冷たい人」ではない。
「NOと言う=境界線を引ける人」になる、ということ。

境界線というと、大げさに聞こえるけど、実態はもっと小さい。
今日は疲れている。今日は早く帰りたい。今日はひとりで静かにしたい。
その今日の自分を守る線。

今までの私は、その線を引く前に自分で消していた。
「そんなの甘えだ」「わがままだ」「それくらいで?」
そうやって自分に言い聞かせて、線を引く権利を自分から取り上げていた。

だから、初めて「今日は難しい」と言えた瞬間は、劇的じゃないのに重要だった。
大声も、涙もない。
ただ震えた声で、自分の気持ちを一つ守っただけ。

でもその一つが、世界の見え方を変える。

断ったのに、世界が終わらなかった。それが衝撃だった

断ったあとの相手の反応が、拍子抜けするほど普通だった。
「そっか。分かったよ。ありがとう」

この一言は、私の中の常識を壊した。
断ったら嫌われると思っていた。
断ったら空気が壊れると思っていた。
断ったら関係が終わると思っていた。

でも終わらなかった。
世界は何も変わらなかった。

変わったのは、私の中だけだった。

「断っても大丈夫だった」という経験は、思っている以上に強い。
それは自信というより、安心だ。
私は私でいてもいいという、静かな許可。

「優しい人」でいるより、「壊れない人」でいる

このシリーズのテーマは、いつもここに着地する気がする。
強くなることより、壊れないこと。
頑張るより、続けられる形にすること。

NOを言えるようになるのは、わがままになることじゃない。
むしろ、自分をすり減らして消えていかないための技術だ。

「優しさ」と「我慢」は違う。
「合わせること」と「尊重」も違う。

相手を大切にするためには、自分が空っぽじゃいけない。
自分が空っぽのまま優しくしても、それはいつか借金になる。
そして借金は、ある日まとめて返済を迫ってくる。

だから私は、たぶん初めて未来の自分を助けたのだと思う。
今日の小さなNOで、明日の崩壊を一つ減らした。

次の話で描きたいのは「優しさの勘違い」

9話で境界線を引けた。
でも、ここから先が本番だ。

NOと言えるようになったあと、人は次に気づく。
「私は優しさのつもりで、誰かを傷つけていたかもしれない」
あるいは、
「私は優しさのつもりで、自分を傷つけていた」

10話は、その優しさの勘違いをほどいていく回になる。
きっと痛い。
でもその痛みは、前に進む痛みだ。

海外編は今、回復の物語から、再構築の物語に入った。
だからこそ、9話の「断れた」は、小さく見えて、かなり大きい。

一度引けた境界線は、次から少しだけ引きやすくなる。
そうやって人は、自分の輪郭を取り戻していく。

いい人じゃなくていい。
壊れない人でいよう。
この9話は、その第一歩の記録だ。

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