間違えるのが怖かったのは、英語そのものじゃなかった
海外に来てから、ずっと怖かったことがある。
それは、英語が通じないことよりも、英語を間違えることだった。
文法が違ったらどうしよう。
発音が変だったらどうしよう。
単語の使い方がおかしかったらどうしよう。
そんなことばかり考えて、口を開く前にいつも一度ブレーキを踏んでいた。
でも今思うと、私が本当に怖がっていたのは、英語そのものじゃなかった気がする。
たぶん私は、「通じるかどうか」より先に、「変に思われたらどうしよう」を気にしていた。

ちゃんと話さなきゃ。
間違えないようにしなきゃ。
恥ずかしい思いをしたくない。
そうやって、自分の中で勝手にハードルを高くしていた。
日本にいた頃から、私はどこかでずっと「ちゃんとしていること」を求めていた気がする。
失敗しないこと。
変に見られないこと。
相手に迷惑をかけないこと。
その癖が、海外に来てもそのまま残っていた。
たった一言のやりとりで、頭が真っ白になった
ある日、スーパーのレジで店員さんに何か聞かれた。
たぶん、「袋いる?」とか、「レシートいる?」とか、そんな簡単なことだったと思う。
でも、急に聞かれると頭が真っ白になる。
聞き取れたような、聞き取れなかったような。
意味はなんとなく分かるのに、返事がすぐに出てこない。
焦って返した言葉は、たぶん少しズレていた。
相手が聞いたことに対して、私はちがう答えを返してしまった。
その瞬間、心の中で一気に警報が鳴った。
あ、やばい。
今の絶対変だった。
恥ずかしい。
笑われたかもしれない。
ほんの数秒のことなのに、自分の中ではものすごく大きな出来事みたいに感じた。
英語ができない自分。
とっさに返せない自分。
ちゃんとできない自分。
そういうものを一気に突きつけられた気がして、顔が熱くなった。
でも、相手は思ったよりずっと普通だった
でも、そのときの店員さんは、別に笑わなかった。
困ったような顔もしなかったし、呆れた感じもなかった。
ただ普通に、もう一度ゆっくり言ってくれた。
それだけだった。
本当に、それだけだった。
私は拍子抜けした。
もっと「え?」みたいな反応をされると思っていた。
面倒くさそうにされると思っていた。
英語ができない人として見られると思っていた。
でも実際には、相手はただ言い直しただけだった。
その反応があまりにも自然で、逆にこっちの方がびっくりした。

あれ、そんなものなんだ。
間違えても、別に空気は凍らないんだ。
ちょっと伝わらなくても、会話って普通に続くんだ。
そのことに気づいたとき、肩の力が少し抜けた。
自分の中では大事件でも、相手にとってはただの一場面だった
私はずっと、英語を間違えることを必要以上に大きく考えていた。
でも、相手にとってはたぶんそんなに大きなことじゃない。
聞き返す。
言い直す。
ちょっと確認する。
それは失敗じゃなくて、ただのやりとりの途中だった。
私の中では大事件でも、相手にとっては一日の中の小さな一場面でしかない。
そう思えたことは、かなり大きかった。
今までは、一度つまずいただけで「もうダメだ」と思ってしまっていた。
でも実際は、そんなことで終わらない。
少し変な言い方をしても、少しズレた返事をしても、会話はそこで終わりじゃない。
むしろ、そこから普通に続いていくことの方が多かった。
私はずっと、「間違えること」を怖がっていたけれど、本当に苦しかったのは「間違えたら終わりだ」と思い込んでいたことの方だったのかもしれない。
海外で知ったのは、完璧じゃなくても会話は続くということ
海外に来て感じたのは、思っていたよりみんなずっと雑で、ずっとやさしいということだった。
聞き取れなかったら聞き返す。
伝わらなかったら言い直す。
単語だけでも、なんとなく会話が進んでいく。
それが、すごく普通だった。
完璧な英語じゃなくてもいい。
文法が少し変でもいい。
たどたどしくても、相手は意外と待ってくれる。
私は勝手に、「ちゃんと話せる人しか話しちゃいけない」みたいに思っていたのかもしれない。
でも、実際の会話はもっとラフで、もっと不完全で、それでもちゃんと成り立っていた。
その感じが、すごく救いだった。
ちゃんとしていなくてもいい。
少しくらい変でもいい。
伝えようとしていることがあれば、それだけで十分な場面もある。
そのことを、私は海外で少しずつ覚えていった。
笑われると思っていたのは、自分だけだった
今振り返ると、笑われると思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。
もちろん、実際に変な発音をしたこともあると思う。
意味がズレてしまったこともある。
聞き返されたことも何度もある。
でも、そのたびに誰かが私を見下したかというと、そんなことはなかった。
むしろ、相手は思っていたよりずっと自然だった。
そして私は、思っていたよりずっと気にしすぎていた。
英語を間違えることが怖いんじゃなくて、間違えた自分を自分で責めることが苦しかったんだと思う。
でも、誰もそこまで責めていない世界にいると、少しずつ自分の見方も変わっていく。
ああ、こんなに構えなくてもよかったんだ。
ちゃんとできなくても、その場にいてよかったんだ。
そう思える瞬間が少しずつ増えていった。
間違えながらでも、前に進めるようになった
あの日から私は、少しだけ口を開くことへの怖さが減った。
うまく話せなくてもいい。
少しズレてもいい。
聞き返されても、それは終わりじゃない。
そう思えたことで、前より少しだけ言葉を出せるようになった。
たった一言でもいい。
自信がなくてもいい。
ちゃんとしていなくてもいい。
それでも口に出せば、会話は始まる。
その一歩があるだけで、世界は少し変わる。
海外に来てから、またひとつ分かった。
私をいちばん強く縛っていたのは、英語そのものじゃなくて、「間違えたらダメだ」と思い込んでいた自分だった。
そしてその思い込みは、意外とあっさりほどけていくものだった。
間違えても、意外と誰も笑わなかった。
だったらもう少しだけ、自分の言葉を外に出してみてもいいのかもしれない。
そう思えたことが、この日のいちばん大きな変化だった。
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