ストレスで潰されかけた私 海外編 17話深掘り

ストレスに潰されかけた私 海外編ブログ版

英語がうまく話せない、それだけで怖かった

海外に来てから、何度も思ったことがある。

「英語、ちゃんと話せないな」

単語は分かる。簡単な会話もできる。けれど、自分の中にある気持ちや考えを、そのまま言葉にするのは思っていたより難しかった。

言いたいことはあるのに、口から出てこない。

頭の中では文章になっていないわけじゃない。でも、いざ相手を前にすると、その言葉たちが急に遠くなる。

発音が変だったらどうしよう。変な顔をされたらどうしよう。通じなかったら恥ずかしいな。

そんなことを考え出すと、ますます言葉は出てこなくなった。

海外に来る前は、「英語が話せるかどうか」がいちばん大きな壁だと思っていた。

でも実際には、英語力そのものよりも、「うまく話せない自分を見せること」の方がずっと怖かったのかもしれない。

ちゃんと話せなくても、なぜか通じた瞬間があった

ある日、いつものカフェで注文しようとしたときのことだった。

メニューは決まっているのに、やっぱり言葉がうまく出てこなかった。

 

ほんの数秒のことなのに、その時間だけが少し長く感じる。

焦ってしまって、結局メニューを指差しながら「これ……」とだけ言った。

正直、それは会話とは言えなかったと思う。

でも店員さんは、私の顔を見て、ふっと笑って、うなずいてくれた。

それだけで、注文はちゃんと通った。

会話らしい会話はしていない。文法もたぶんぐちゃぐちゃだったと思う。それでも、ちゃんと伝わっていた。

その瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。

ああ、ちゃんと話せなくても、全部が終わるわけじゃないんだと思った。

むしろ、伝えようとする気持ちの方が、思っていたよりもずっと先に届いているのかもしれなかった。

伝わるのは、言葉だけじゃなかった

それから少しずつ気づくようになった。

海外では、言葉だけで会話しているわけじゃない。

目の動きや、表情や、声のトーンや、手の動き。そういうものが、思っていた以上に相手に届いている。

日本にいた頃の私は、「ちゃんとした言葉」で伝えることばかり考えていた。

正しい言い方。変に思われない表現。失礼じゃない言葉選び。

もちろんそれは大事だと思う。でも、そればかりを気にしていると、逆に何も言えなくなることがある。

海外に来てから見たのは、もっとラフで、もっと人間っぽいコミュニケーションだった。

完璧じゃなくてもいい。少しくらい言葉が足りなくてもいい。伝えたい気持ちがあれば、それを拾おうとしてくれる人がいる。

そのことを知ってから、少しだけ人と話すことが怖くなくなった。

日本にいた頃の私は、「ちゃんとしなきゃ」に縛られていた

思い返してみると、日本にいた頃の私は、「ちゃんとしなきゃ」という言葉にずっと縛られていた気がする。

ちゃんと話さなきゃ。ちゃんと伝えなきゃ。ちゃんとした人に見えなきゃ。

そうやって、まだ何も起きていないうちから、自分で自分にプレッシャーをかけていた。

その結果、余計に固くなって、余計に言葉が出なくなっていたのかもしれない。

でも海外では、私が思っていたほど、みんな完璧を求めていなかった。

うまく話せない人を笑うより、「伝えようとしている人」として見てくれることの方が多かった。

それは、自分の中ではかなり大きな発見だった。

私はずっと、「できない自分は見せちゃいけない」と思っていた。でも、本当は、できないままでも人と関われる瞬間がある。

その事実は、思っていた以上に心を軽くしてくれた。

うまく話せない自分を隠さなくていい場所だった

海外生活の中で救われたのは、言葉が通じたことそのものより、「うまく話せない自分を隠さなくていい」と思えたことだった。

それはすごく大きかった。

今までの私は、少しでも不完全な自分を見せることが怖かった。

ちゃんとしていないと、人に迷惑をかける気がしていたし、変に思われるのが怖かった。

でも、実際にはそんなに構えなくてもよかった。

むしろ、少し不器用なままでも、ちゃんと受け取ってくれる人がいた。

そういう経験を重ねるうちに、「完璧じゃなくても大丈夫」という感覚が、少しずつ自分の中に残っていった。

言葉が足りなくても、ちゃんと見てくれる人がいる。うまく話せなくても、受け取ってくれる空気がある。

それは、私が日本にいた頃にはなかなか持てなかった感覚だった。

伝わるかどうかは、語学力だけじゃなかった

もちろん、語学力はあった方がいい。話せるに越したことはないと思う。

でも、伝わるかどうかは、それだけで決まるものじゃなかった。

伝えようとする気持ち。相手を見ようとする姿勢。少しの勇気。

そういうものが、言葉の外側でちゃんと働いている。

たぶん私は、日本にいた頃、言葉を「正しさ」のために使おうとしていた。でも本当は、言葉は「つながるため」にあるものだったのかもしれない。

そう思えたとき、英語がうまくない自分を責める気持ちが少しだけ減った。

話せないことより、伝えようとしないことの方が、もしかしたら距離を作ってしまうのかもしれない。

完璧な英語じゃなくても、ひとこと足りなくても、それでも人とつながれる瞬間はある。

そのことを知れたのは、海外に来たからこその大きな学びだった。

海外でほどけた、ひとつの思い込み

海外に来てから、いろんな思い込みが少しずつほどけていった。

その中でも大きかったのは、「ちゃんと話せないと伝わらない」という思い込みだった。

たしかに、ちゃんと話せた方が便利だし、誤解も減ると思う。でも、そこに届く前の段階でも、人は十分につながれる。

目を見て、少し笑って、伝えようとする。それだけで空気がやわらぐことがある。

私はずっと、言葉は完成してから出すものだと思っていた。でも実際は、不完全なままでも差し出していいものだった。

それを知ったことは、語学の話以上に、自分の生き方に近い気づきだった気がする。

ちゃんとしなきゃ。ちゃんと伝えなきゃ。そう思いすぎて、動けなくなることは、言葉以外の場面でもたくさんある。

でも本当は、少し不完全なままでも、一歩出した方が届くことがある。

海外に来てから学んだのは、英語だけじゃなかった。こういう「人との間にあるやさしさ」みたいなものだったのかもしれない。

ひとこと

👉ちゃんと話せなくても、伝わることはある。

そしてそれは、思っていたよりずっと人を安心させてくれる。

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