海外に来てから、何度か驚いたことがある。
それは、みんなが思っていたよりも自然に、
自分の気持ちを口にしていたことだった。
疲れたら休む。
行きたくなければ断る。
無理なら無理と言う。
日本にいた頃の私は、そういうことが少し苦手だった。
「断ったら悪いかな」
「空気を悪くしないかな」
「ちゃんとしてないと思われないかな」
何かを選ぶ前に、いつも誰かの反応を先に考えていた。
「ちゃんとしている自分」を作っていた
私はずっと、ちゃんとしていることが大事だと思っていた。

迷惑をかけないこと。
空気を読むこと。
気の利いた言葉を返すこと。
それができる人が、大人なんだと思っていた。
でも、そのちゃんとするの中には、
いつの間にか自分を押し込めるような感覚も混ざっていた。
本当は疲れているのに、平気なふりをする。
本当は行きたくないのに、断れない。
本当は少し距離を取りたいのに、笑って合わせる。
そうやって少しずつ、自分の気持ちを後回しにしていた。
海外で見た「軽さ」に救われた
海外で出会った人たちは、思っていたよりも軽やかだった。
「今日は疲れたから帰るね」
「それはちょっと違うかな」
「また今度にしよう」
そんな言葉が、驚くほど普通に出てくる。
しかも、それで関係が壊れるわけでもない。
誰かが断っても、周りは案外あっさりしている。
その空気に触れたとき、少しだけ肩の力が抜けた。
もしかしたら、私はずっと必要以上に怖がっていたのかもしれない。
自由になることは、わがままになることではない
自由でいることは、誰かを雑に扱うことではない。
自分勝手になることでもない。
むしろ、自分の気持ちをちゃんと分かっているからこそ、
人にも無理なく向き合えるのかもしれない。
思いやりは大事だ。
でも、思いやりのために自分を消し続ける必要はない。
合わせることと、無理をすることは違う。
優しさと、我慢も違う。
その違いに気づけたことは、私にとって大きかった。
自分を縛っていたのは、自分だったのかもしれない
私はずっと、周りの目が怖いのだと思っていた。
人からどう見られるか。
嫌われないか。
変に思われないか。
でも本当は、誰かに縛られていたというより、
自分で自分にルールを作っていたのかもしれない。
こうしなきゃいけない。
ちゃんとしていなきゃいけない。
失敗してはいけない。
そうやって、自分で自分を狭い場所に置いていた。
海外に来て、急に強くなったわけではない。
でも、そのルールを少しずつ疑えるようになった。
少しずつ「まあいっか」が増えていった
前より、空を見上げる時間が増えた。
前より、「まあいっか」と思える瞬間が増えた。

前より、自分を責める回数が減った。
大きな変化ではない。
でも、心の中にあった固い結び目が、
少しずつほどけていくような感覚があった。
ちゃんとできない日があってもいい。
うまく返せない時があってもいい。
全部に合わせられなくてもいい。
そう思えるようになっただけで、
生きるのが少し楽になった。
まとめ:私は、思っていたより自由でよかった
海外に来たから、魔法みたいに人生が変わったわけではない。
でも、環境が変わったことで、
今まで当たり前だと思っていたものを見直すきっかけになった。
ちゃんとしなきゃ。
迷惑をかけちゃいけない。
嫌われないようにしなきゃ。
そう思い続けていた私にとって、
「もっと自由でいい」という空気は、静かな救いだった。
完璧じゃなくてもいい。
全部に合わせなくてもいい。
ちゃんとしていない日があってもいい。
私は、思っていたより自由でよかった。
そう気づけただけで、
世界の見え方は少し変わった。



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