無理して笑っていた頃の私
昔の私は、とにかく「感じの良い人」でいようとしていました。
職場でも。
友人関係でも。
初対面の人と話す時でも。
とにかく空気を悪くしないように。
嫌われないように。
迷惑をかけないように。
そんなことばかり考えていました。
もちろん、人に優しくすることは悪いことではありません。
でも当時の私は、「優しさ」ではなく「恐れ」から動いていた気がします。
嫌われたくない。
変に思われたくない。
だから疲れていても笑う。
本当は休みたくても頑張る。
気づけば、自分の気持ちを後回しにするのが当たり前になっていました。

静かな自分を許せなかった
今思えば不思議です。
私は「明るい人」でいなければいけないと思い込んでいました。
会話を盛り上げる人。
場を和ませる人。
いつも笑顔の人。
そんな理想像を勝手に作り、その姿から外れることを怖がっていました。
だから静かな日は不安でした。
疲れている日も不安でした。
何も話したくない日ですら、無理やり元気な自分を演じていました。
でも、それを続けるのは想像以上にエネルギーが必要です。
気づけば私は、人と会うだけで疲れるようになっていました。
本来なら楽しいはずの時間まで、どこか仕事のように感じていたのです。
海外で気づいた意外なこと
海外へ来て驚いたことがあります。
みんな意外と自由なんです。
元気な日は元気。
疲れている日は静か。
話したい日は話す。
話したくない日は無理をしない。
もちろん全員ではありません。
でも、日本にいた頃よりも「その日の自分」を大切にしている人が多いように感じました。
ある日、私も何となく疲れていました。
だから無理に会話へ入らず、静かに過ごしました。
前なら絶対に出来なかったことです。
でも結果はどうだったか。
何も変わりませんでした。
次の日もみんな普通に話しかけてくれたのです。
その時ふと思いました。
もしかして。
勝手に自分を追い込んでいたのは、自分自身だったのかもしれない。
本当の居場所とは何だろう
昔の私は、居場所は頑張って作るものだと思っていました。
役に立つこと。
好かれること。
空気を読むこと。
そういう努力の先にあるものだと思っていました。
でも今は少し考え方が変わりました。
本当の居場所は、無理をしなくても居られる場所なのかもしれません。
元気な日だけじゃなく。
疲れている日も。
うまく笑えない日も。
そのままでいていいと思える場所。
それは人が作ってくれるものでもありますが、最後は自分が自分を許せるかどうかなのだと思います。
「今日は元気じゃないな」
「今日は休みたいな」
そんな自分を責めないこと。
それが回復の第一歩だったのかもしれません。

まとめ
ストレスで潰れかけていた頃の私は、ずっと「頑張ること」が正解だと思っていました。
でも海外での生活を通して、少しずつ別の考え方を知りました。
無理して笑わなくてもいい。
頑張って明るくならなくてもいい。
静かな日があってもいい。
そんな当たり前のことを、ようやく自分に許せるようになった気がします。
もし今、人間関係に疲れている人がいたら伝えたいです。
あなたが思っているほど、人は完璧を求めていません。
そして。
無理をしなくても居られる場所は、きっとあります。
私がそうだったように。
少しずつで大丈夫です。
自分に優しくすることから始めてみてください😊



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